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付加価値とは、欲求に火をつけるモノ

若竹食堂

先日、「工業立国ふくい」というブログで、付加価値について少し触れる機会がありました。

付加価値とは色々なイメージが湧くものの、そもそもの意味をと思いGoogle先生およびWikipedia先生に聞いてみると(ここで広辞苑を引かないのも我ながら…)、

「生産活動などの過程(工程)を経て、原材料などの上に乗っかる形で生み出された価値、付加される価値」

とありました。では付加価値として認識や納得できるものは何だろうか?という部分について少し考えてみたいと思います。

過程がそのまま価値になるわけではない

価値を生み出す上で、過程は非常に重要な部分であることは間違いないと考えています。しかし、価値に値する過程なのか?は大事な判断であり、価値に値しなけば、過程は思い出話の一つにしかなりません。

付加価値という言葉が、持っているイメージのひとつに「頑張ったのだから価値がある」という部分があるかと思います。しかし、価値とは主観で判断するものではなく客観的に、つまり相対的に発生するモノであると考えると、例えば「あの人があれだけ喜んでくれたのだから頑張った価値(甲斐)がある」と表現されるものが「付加価値」としてヌルりと捻り出た瞬間だと思っています。

主観的に体感したモノを他の誰かと共有できるか

価値において、客観的、さらに相対的な感覚は非常に重要です。では、相対的に価値を感じてもらえる瞬間とはどのような状況でしょうか。

それは、客観的や相対的なことに価値を突き詰めることではなく、まずは1人の客観視点でもある自分視点で「伝えいたいモノ」をどれだけ他人に伝えられるか、共有し同じ経験(体感)をしてもらうかに集約されると考えます。

よく自分の体験していないモノは伝えづらい(本で読んだ、TVで見た、ネットで読んだだけの時)というのがひとつの例かと思います。

結局のところ、価値という定義を支えているのは、各々の主観が判断した結果であり、どれだけ多くの人を巻き込める主観であるか?が世にいう訴求力を持った客観なのではないでしょうか。

価値とは気持ちに火をつけること

インターネットを中心とした弊社ですが、結局のところ、ネットという媒体を介して、体感させるにはどのようにすべきかを日々考えています。

ユーザーの行動原理は変わっておらず、ほぼ感情が支配していると思っています。どれだけ、その感情の蝋燭に火をつけるか。

「付加価値とは、他人の欲求という蝋燭に火をつけるモノ」

と言えるかもしれません。弊社の仕事においては、他の誰かの心動かすプロモーション、そしてその先にある「第一印象」。弊社の「メッセージは最初の感動で決まる(The first deep emotion)」に通じる考え方です。

最後までお読みいただきありがとうございました。
 

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